横浜の城郭巡り 畠山重保陣屋

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畠山重保陣屋は、横浜市戸塚区汲沢にあったと伝えられている。所在地は富士浅間神社の西方、汲沢六丁目の最南端辺りか?
2013年7月、地下鉄沿線ぶらり旅で畠山重保陣屋跡近くを訪れている。今回は戸塚高校から踊場駅までを散策した。
畠山重保は、鎌倉時代初期の武将。父は畠山重忠、母は北条時政の娘。通称は六郎。
皇国地誌は、現在の横浜市戸塚区汲沢町で源氏山と呼ばれる小山付近の小字で六郎丸にある陣屋跡が重保の居館であったという古老の口伝を収録している。源氏山は富士浅間神社の西側辺り。

・鎌倉幕府の御家人である畠山六郎重保の陣屋があったと伝えられており、北部の六丁目には六郎丸との字名も残る。(汲沢@Wikipedia)
・畠山重保陣屋跡
『皇国地誌』は以下のように伝える。 「陣屋址 本村西北の方、字六郎の丸にあり。東西一町五十八間、南北五町二十四間、面積九町四反九畝二十三歩、楕円の状をなし、遺濠これを回る。土を鑿つもの往々にして古瓦、或は古城具を得う。此より南の方、直径九町を隔つて的場と呼ぶ処あり。亦た東南の方へ距ること十二町十七間にして御能場と称する地あり。何れも旧字名にして、近来字名を更に細田、御所水と改号す。里老の口碑に伝ふ、正治年間、秩父の庄司重忠の子、畠山六郎重保、該地に居住し、鎌倉幕府に仕ふ、其後、元久二年武蔵守源朝雅の讒言に因て相模守北条義時のために撃殺せられ、卒に滅亡すと云々。」 『汲沢小史』はさらに、御能場が現在の細田地区、的場が御所水地区にあると補うとともに、「男に美男なけれども、畠山六郎は男美男よ」との一句が、大正期まで汲沢で歌われていた米搗歌の中で聞かれたと紹介している。
(汲沢@Wikipedia)
・東西一町五十八間(214.5m)、南北五町二十四間(589m)


2021年7月17日
横浜市戸塚区汲沢6丁目

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Subway Hamabra 地下鉄沿線ぶらり旅 B05-B04 踊場駅~中田駅
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富士浅間神社
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四季の汲沢源氏山
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