横浜の城郭巡り 伊予殿根(詫間上杉城館跡)
横浜の城郭巡りで伊予殿根(詫間上杉城館跡)を訪れた。
伊予殿根(いよとのね)
「新編相模」によれば「昔、天神神職、伊予というもの居住せし跡なれば此の称ありと云う」とあり、「永谷郷に居城し霊夢のお告げによって永谷天満宮を造営した」という藤原乗国の城跡はここ「伊予殿根」と「日本城郭体系」では推測している。そして乗国の子憲方が伊予を名乗ったため、「伊予殿根」の地名が起ったと考えられている。具体的な発掘調査もなく居館跡かどうかも不明である。しかし、馬蹄形の丘陵に囲まれて、南口が開き、前には水掘の役目を果たす永谷川(地図3)が流れる地形は、鎌倉期の城郭を想像させるものがある。
なお、「日本城郭体系」には「藤原乗国の創建した天満宮と貞昌院の丘陵地は、周辺に環濠を残し、頂点に削平地があって、城郭の遺構を残しており、宅間氏に関係する武将の居館であった可能性がある。」としているところから、宅間上杉氏は「伊予殿根」を日常の居館とし、天神山(地図4)を「詰の城」(戦闘用の本城)としたとも考えられる。また、永野小学校には、文和5年(北朝1356年)銘の板碑がある。付近には安永5年(1776年)銘の庚申塔(地図5)もある。
(神奈川県HP)
2021年7月11日
横浜市港南区上永谷二丁目
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