横浜米軍機墜落事件から43年

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43年前の昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなった。
このような悲劇をニ度と繰り返さないよう願いを込めてブロンズ像「愛の母子像」が昭和60年1月17日に港の見える丘公園 に建立された。


1977年9月27日13時過ぎ、厚木基地(厚木海軍飛行場)を離陸し、太平洋上の航空母艦・ミッドウェイに向かおうとしたアメリカ海兵隊の戦術偵察機(RF-4BファントムII611号機)が、離陸直後に燃料満載の状態でエンジン火災を起こした。
乗員2名は射出座席を用いて緊急脱出し、パラシュートで神奈川県横浜市緑区(現・青葉区)鴨志田町付近に着地した。
一方、放棄され制御を失った機体は5kmほど離れた同区荏田町(現・青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)の住宅地に墜落し、火だるまになった機体の破片を周囲300mから400mに飛び散らせ、周辺の家屋20戸を炎上・全半壊させ、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなった。
横浜米軍機墜落事件@Wikipediaより抜粋


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港の見える丘公園 愛の母子像
https://hamabra4.seesaa.net/article/201812article_35.html

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